1975(昭和50)年に生産が途絶えてしまった川越の伝統的なだるま「川越だるま」が、女性職人の手によって復活した。
「川越だるま」は明治時代後期から昭和40年代まで生産され、川越大師喜多院のだるま市などで販売されていただるま。顔の横と眉毛に「寿」の文字が入っていることと、彫が深く鼻が高いのが特徴。過去に一度技術が途絶えてしまったものの、全日本だるま研究会の会員の手助けの下、復活。現在では若手女性職人が後継者として製作活動をしている。
現在中心となって「川越だるま」を製作しているのは、若手だるま職人の矢嶋美夏さん。高校を卒業した後、一度一般企業に就職したが、現在は大学で歴史を学ぶ学生でもある。歴史を学ぶうちに伝承技術はすたれやすく、多くの伝統技術が失われていることに気付いた矢嶋さんは「何とかして地元の伝統技術を守りたい」と思うようになったという。そこで地元川越には「川越だるま」という途絶えてしまった伝統工芸があることを知り、全日本だるま協会を通じて、川越だるま職人・続木徳一さんを訪ね、後継者に名乗り出たという。
もともとものづくりは好きだったと語る矢嶋さんだが、だるま作りは全くの初めてだったという。「だるまを作り始めて3年たつが、やはり眉毛やひげをシンメトリーに描くのが難しい。すべて手作りでやっているので顔を描くだけでも10分はかかり、1日にそんなにたくさんは作れない」と語る。現在一般的なだるまは工場で大量生産することがほとんどだが、川越だるまは伝統的な手法ですべて手作りで作られている。そのため一度に作れるだるまは12個が限界で、型から一つのだるまを作るのに1週間以上かかる。「天候や気温によって接着面の乾き具合も変わるので大変だが、川越のお土産と言ったら川越だるまと言ってもらえるようになるまで頑張りたい」と語る。
矢嶋さんは川越だるまの製作のほか、オリジナルの和雑貨の製作や、地元の祭りに出店。子ども向けの「だるまの色塗り」のワークショップなども行っている。「大人は『顔の部分には顔の絵を描かなければいけない』というような固定観念のようなものがあるが、子どもにはそれがなく全く自由に色塗りをしているので、ハッとさせられるような作品を作る子どもも多い。それによって自分自身のインスピレーションが刺激されることも多く、新しいデザインを生み出すきっかけになる」と話す。「川越だるまは伝統技術の後継を目的として受け継いだものなのできちんと継承していきたいが、オリジナルの和雑貨は自由に作っていきたい。今は小物が中心なので、大きな作品を作り上げることが今の目標」とも語る。
「川越は歴史と伝統が身近にたくさんある面白い街。歴史と伝統は大切にして、だからといって保守的にならずに革新的に進歩し続ける街であってほしい」と、矢嶋さんは語る。
川越だるまは川越市内の雑貨店「舟運亭」(川越市西小仙波町1)、「おすし雑貨研究所」(砂938)や、ネットショップ「小江戸○○屋」(http://www.00ya.jp/)で購入できる。